2026.07 icoi Lounge MUSIC コラム
涼を運ぶ、水の記憶
7月、クーラーの効いた部屋に身を置く時間が増えてきました。かつて「避暑地」と呼ばれていたこの北海道でも、今ではエアコンが当たり前の風景になり、しっかりと“暑さ”を意識する日が増えています。
そんな中でふと考えます。私たちは本当に「気温」だけで涼しさを感じているのでしょうか。
例えば、風鈴の音や、川のせせらぎ。実際に気温が下がっているわけではないのに、どこか涼しく感じる瞬間があります。どうやら人は、耳からも“涼しさ”を受け取っているようです。
水の流れる音や波の音、風の音、そして暖炉の薪がパチパチと燃える音。こうした自然界の音には、規則的すぎず、かといって不規則すぎない「1/fゆらぎ」と呼ばれるリズムが含まれていると言われています。このゆらぎが、リラックス状態のときに現れる「α波」を引き出しやすいのだそうです。心と身体の緊張がゆるむことで、結果的に“涼しく感じやすい状態”になる。気温そのものは変わらなくても、私たちの感じ方には、音が静かに作用しているのかもしれません。
面白いのは、同じ「α波」を引き出す音であっても、川のせせらぎには涼しさを、暖炉の薪の音には温もりを感じるということです。音そのものが現実の温度を変えているわけではなく、リラックスした心が、その場の空気を“涼しく”も“暖かく”も感じ取りやすくしている。音は、感じ方にそっと寄り添ってくるものなのだと思います。
そう考えると、音楽もまた、私たちの体感に働きかける一つの環境だと言えそうです。
今回セレクトしたのは、キューバの鬼才ピアニスト、オマール・ソーサと、セネガル出身のコラ奏者セク・ケイタが2017年に共作した『Dary』。西アフリカの伝統ハープであるコラの繊細な響きと、透明感のあるピアノ、心地よいパーカッションが美しく重なり合う一曲です。
アルバム名は「透明な水」。その名の通り、楽曲の中には川のせせらぎのような、水を注ぐような音が自然に溶け込んでいます。それは単なる効果音ではなく、楽曲そのものの空気をかたちづくる大切な要素として存在していて、聴いているうちに、空間の温度が少し下がったような、不思議な感覚に包まれます。
そういえば、冬の定番曲「The Christmas Song」は、1945年の記録的な猛暑の日に、涼を求めて生まれた曲だと言われています。けれど出来上がった歌詞の最初の一行は「暖炉で栗が焼ける」。涼みたくて書いたはずの言葉が、結果として“暖かさ”の象徴になっている。音やイメージは、生み出した人の意図さえ軽やかに飛び越えて、聴く人それぞれの体感をそっとつくりかえてしまうのかもしれません。
クーラーの効いた札幌の部屋で、ふと水の音に耳を澄ませてみる。それだけで、今日の暑さが、少しだけ違って聴こえてくる気がするのです。
そんな中でふと考えます。私たちは本当に「気温」だけで涼しさを感じているのでしょうか。
例えば、風鈴の音や、川のせせらぎ。実際に気温が下がっているわけではないのに、どこか涼しく感じる瞬間があります。どうやら人は、耳からも“涼しさ”を受け取っているようです。
水の流れる音や波の音、風の音、そして暖炉の薪がパチパチと燃える音。こうした自然界の音には、規則的すぎず、かといって不規則すぎない「1/fゆらぎ」と呼ばれるリズムが含まれていると言われています。このゆらぎが、リラックス状態のときに現れる「α波」を引き出しやすいのだそうです。心と身体の緊張がゆるむことで、結果的に“涼しく感じやすい状態”になる。気温そのものは変わらなくても、私たちの感じ方には、音が静かに作用しているのかもしれません。
面白いのは、同じ「α波」を引き出す音であっても、川のせせらぎには涼しさを、暖炉の薪の音には温もりを感じるということです。音そのものが現実の温度を変えているわけではなく、リラックスした心が、その場の空気を“涼しく”も“暖かく”も感じ取りやすくしている。音は、感じ方にそっと寄り添ってくるものなのだと思います。
そう考えると、音楽もまた、私たちの体感に働きかける一つの環境だと言えそうです。
今回セレクトしたのは、キューバの鬼才ピアニスト、オマール・ソーサと、セネガル出身のコラ奏者セク・ケイタが2017年に共作した『Dary』。西アフリカの伝統ハープであるコラの繊細な響きと、透明感のあるピアノ、心地よいパーカッションが美しく重なり合う一曲です。
アルバム名は「透明な水」。その名の通り、楽曲の中には川のせせらぎのような、水を注ぐような音が自然に溶け込んでいます。それは単なる効果音ではなく、楽曲そのものの空気をかたちづくる大切な要素として存在していて、聴いているうちに、空間の温度が少し下がったような、不思議な感覚に包まれます。
そういえば、冬の定番曲「The Christmas Song」は、1945年の記録的な猛暑の日に、涼を求めて生まれた曲だと言われています。けれど出来上がった歌詞の最初の一行は「暖炉で栗が焼ける」。涼みたくて書いたはずの言葉が、結果として“暖かさ”の象徴になっている。音やイメージは、生み出した人の意図さえ軽やかに飛び越えて、聴く人それぞれの体感をそっとつくりかえてしまうのかもしれません。
クーラーの効いた札幌の部屋で、ふと水の音に耳を澄ませてみる。それだけで、今日の暑さが、少しだけ違って聴こえてくる気がするのです。