2026.06 icoi Lounge MUSIC コラム
夏を運ぶ、白い旅人たち
6月、この時期の札幌でよく見かける風景があります。空気の中に、白いふわふわしたものが舞っている光景です。
気づけば、どこからともなく現れて、街のあちこちを漂っている。やわらかな光を受けながら、ゆっくりと、けれど確かに季節が進んでいることを教えてくれます。
あれはポプラの綿毛。街路樹や公園に植えられているポプラが、この時期になると種を風に乗せて飛ばすのです。雪のようにも見えるけれど、手に取ろうとするとすぐにほどけてしまう。触れられそうで触れられない、その軽さが、この季節の空気によく似ています。
綿毛が街に舞いはじめると、「ああ、いよいよ初夏だ」と感じるようになります。夏そのものというよりも、その少し手前にだけ現れる、ふわっとした特別な景色。やわらかな春の気配を残しながら、光だけが少しずつ強さを増していく、その“あいだ”の時間です。
こうした風景は、札幌だけのものではありません。ヨーロッパでは、春の終わりから初夏にかけて、ポプラやタンポポの綿毛が風に乗って広がっていきます。都市の石畳や草原の上を、白い粒がひとつずつほどけるように飛んでいく光景は、季節の移ろいを感じさせるものとして古くから親しまれてきました。
北米では、コットンウッドと呼ばれるポプラの仲間が同じように種を飛ばします。地域によっては、まるで雪が降っているかのように街を覆うこともあり、初夏の風物詩として“サマー・スノー”と呼ばれ愛されています。
そしてアジアでは、柳の綿毛。水辺や街路に植えられた柳から、細かな白い種が風に乗って漂い、やはり季節の変わり目を知らせてくれます。
場所も気候も違うはずなのに、風に運ばれる白いものが季節のはじまりを告げる感覚は、世界のどこにいても不思議と似ています。札幌でこの景色を見ると、「さあ、いよいよ夏ですよ」と、静かに背中を押されるような気がするのです。
今回セレクトしたのは、Rosario Ortegaの「Punta Cana」。
プンタ・カナは、カリブ海に面したリゾート地の名前。白い砂浜と強い陽射しが広がる、まぶしい場所です。綿毛が知らせてくれるのは、まだやわらかな初夏の入り口ですが、この曲が運んでくるのは、その先にある「光の強い季節」の気配。空気が少しだけ軽くなって、気持ちが外へとひらいていく。そんな小さな高揚感が、さりげなくポップに弾けています。
札幌の6月、今日もどこかでポプラの綿毛が飛んでいる。
それは、私たちの街の季節を、ひとつ先へ運んでいるのかもしれません。
気づけば、どこからともなく現れて、街のあちこちを漂っている。やわらかな光を受けながら、ゆっくりと、けれど確かに季節が進んでいることを教えてくれます。
あれはポプラの綿毛。街路樹や公園に植えられているポプラが、この時期になると種を風に乗せて飛ばすのです。雪のようにも見えるけれど、手に取ろうとするとすぐにほどけてしまう。触れられそうで触れられない、その軽さが、この季節の空気によく似ています。
綿毛が街に舞いはじめると、「ああ、いよいよ初夏だ」と感じるようになります。夏そのものというよりも、その少し手前にだけ現れる、ふわっとした特別な景色。やわらかな春の気配を残しながら、光だけが少しずつ強さを増していく、その“あいだ”の時間です。
こうした風景は、札幌だけのものではありません。ヨーロッパでは、春の終わりから初夏にかけて、ポプラやタンポポの綿毛が風に乗って広がっていきます。都市の石畳や草原の上を、白い粒がひとつずつほどけるように飛んでいく光景は、季節の移ろいを感じさせるものとして古くから親しまれてきました。
北米では、コットンウッドと呼ばれるポプラの仲間が同じように種を飛ばします。地域によっては、まるで雪が降っているかのように街を覆うこともあり、初夏の風物詩として“サマー・スノー”と呼ばれ愛されています。
そしてアジアでは、柳の綿毛。水辺や街路に植えられた柳から、細かな白い種が風に乗って漂い、やはり季節の変わり目を知らせてくれます。
場所も気候も違うはずなのに、風に運ばれる白いものが季節のはじまりを告げる感覚は、世界のどこにいても不思議と似ています。札幌でこの景色を見ると、「さあ、いよいよ夏ですよ」と、静かに背中を押されるような気がするのです。
今回セレクトしたのは、Rosario Ortegaの「Punta Cana」。
プンタ・カナは、カリブ海に面したリゾート地の名前。白い砂浜と強い陽射しが広がる、まぶしい場所です。綿毛が知らせてくれるのは、まだやわらかな初夏の入り口ですが、この曲が運んでくるのは、その先にある「光の強い季節」の気配。空気が少しだけ軽くなって、気持ちが外へとひらいていく。そんな小さな高揚感が、さりげなくポップに弾けています。
札幌の6月、今日もどこかでポプラの綿毛が飛んでいる。
それは、私たちの街の季節を、ひとつ先へ運んでいるのかもしれません。